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最高裁判所第三小法廷 平成5年(行ツ)116号 判決

東京都世田谷区深沢八丁目一九番二〇号

上告人

タナシン電機株式会社

右代表者代表取締役

田中進作

右訴訟代理人弁護士

赤尾直人

埼玉県東松山市大字大谷四一五二番地

被上告人

ベルテック株式会社

右代表者代表取締役

坪井一髙

右訴訟代理人弁護士

池田浩一

右当事者間の東京高等裁判所平成三年(行ケ)第三四号審決取消請求事件について、同裁判所が平成五年三月三一日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人赤尾直人の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 可部恒雄 裁判官 大野正男)

(平成五年(行ツ)第一一六号 上告人 タナシン電機株式会社)

上告代理人赤尾直人の上告理由

第一点.原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。

一.本件事案の争点

1.本件発明の要旨は、甲第一号証の審決書の「発明の要旨」の記載の通りである。

これによれば、本件特許発明においては、

〈1〉カセットの収納函上面から吊板にかけて形成された長溝

〈2〉前記長溝に摺動自在に装着され、且つカセットに係合してカセットの挿入脱出に関与するスライド片

〈3〉前記スライド片と係着連動するタンブラーバネ

を不可欠な構成要素としている。

2.明細書の発明の詳細な説明においては、発明の要旨を再現した構成によって、タンブラーバネのデッドポイントを越えさせることによるカセットの自動挿入及び自動脱出という本発明の固有の目的を達成し、且つ作用効果を奏することができる旨の記載部分が存在する(甲第二号証の第二欄一二行~二〇行、第五欄一二行~第六欄五行)。

しかしながら、タンブラーバネのデッドポイントを越えさせることによりカセットの自動脱出を行うには、前記〈1〉の吊板及び長溝、前記〈2〉のスライド片、前記〈3〉のタンブラーバネだけでは、不可能である。

原審では、本件発明の作用効果を奏する上で、タンブラーバネの弾発力に打ち勝ってスライド片及びこれと結合しているタンブラーバネの一方端をカセット収納函の始端側(入口側)にタンブラーバネのデッドポイントを越えるまで押し戻す機構(脱出用押戻機構)が不可欠であるか否かの点が、技術的前提事項の第一の争点として争われた。

3.脱出用押戻機構の存在を前提とした場合、これは、タンブラーバネの弾発力より大きい押戻力を有している以上、この弾発力がカセット挿入時にもスライド片及びタンブラーバネに作用し続けているとカセットの自動挿入を妨げてしまうので、カセットの挿入時にはスライド片及びタンブラーバネに作用しない構成であることが不可欠である。

原審においては、本件特許明細書にカセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成が記載されているか否かの点が、技術的前提事項の第二の争点として争われた。

そして、これらの各技術的前提事項の争点を踏まえたうえで、発明未完成に関する上告人(請求人)の主張を排斥し、開示不十分について何らの判断を示していない審決における違法の有無が最終的な争点として争われた。

二.原判決の判断

原告の請求を棄却した原判決の判決理由は、以下の如きものである。

1.発明未完成について

a.本件発明の要旨とこれによる目的効果に照らすならば、本件発明を実施する為には、カセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構が不可欠である。

b.しかしながら本件発明は、脱出用押戻機構自体を発明の対象とするものではなく、しかも脱出用押戻機構は、本件発明の不可欠な構成要件に該当しないから、カセットの脱出時にタンブラーバネのデッドポイントを越えさせる手段について適宜任意に選択することができ、例えば、本件明細書の実施例に示されているナイフエッジを用いる構成においても、乙第2号証の1及び5により認められるような、カセット挿入時にはスライド片に作用を及ぼさないために、ナイフエッジを常時はバネの力で左旋させておき、脱出時には、ナイフエッジと連動する脱出操作ボタンを押すことにより、このバネの力に抗してナイフエッジを右旋させ、これにより、タンブラーバネのデッドポイントを越えさせる位置にまでスライド片を押し戻すという簡単な機構によって、容易に実現できることが明らかである。

c.従って、本件発明の実施例たるナイフエッジを用いた脱出用押戻機構において、カセットの自動挿入を妨げない構成を採用することは当業者にとって自明な事項と考えられる以上、本件明細書に添付された第1~第3図によって、カセット挿入時には、ナイフエッジの押戻力を「逃げさせる」ための構成を容易に想到し、実施できるものと認められること、

更には脱出用押戻機構がナイフエッジを用いる実施例に限定されず、この場合には本件構成として採用できる技術の範囲は更に広がることを考慮するならば、審決の「本件発明の出願当時の技術知識を有する当業者が、そのような手段を一つとして思い浮かべることができないものとは到底認めることができない。」とする判断は、相当として是認できる。

d.以上より、発明未完成に該当しないと判断した審決に違法はない。

2.開示不十分について

A.上告人(審判請求人)は、審判請求書においては発明未完成の点のみを主張していたが、甲第四号証に示す平成二年六月一二日付の弁駁書において、前記開示不十分の点を主張した。にも拘らず、審決にこれに対する明確な判断理由は存在しない。

B.しかしながら、右弁駁書における開示不十分の主張は、要するに発明未完成である事由が同時に開示不十分に該当するとの法条適用についての主張に過ぎない。

C.従って、審決が発明未完成に該当しないと判断している以上、明細書の開示不十分についても実質的に判断していることは明らかであるから、審決が単に「本発明は特許法第三六条第四項にも該当しない。」との判示を遺脱したに過ぎないことに帰し、このような遺脱を以って判断の遺脱ということはできない。

D.以上より、開示不十分について格別の判断を行わなかった審決に違法はない。

三.判決に影響を及ぼすべき法令違反

1.最初に、発明未完成について考察する。

(一).本来「発明」とは、目的たる課題を解決し、固有の作用効果を発生する技術手段を具現化する創作的な思想形態のことである。

そして、特許制度は、課題を解決する手段の技術思想を保護するのであり、且つ課題を解決し、固有の作用効果を発生する為の技術手段が「発明の構成」に他ならない。

前記第一の争点について原判決は、前記a記載のように、脱出用押戻機構が本件発明を実施する上で不可欠の構成要件と認定したのは、その限度において正当である。

ところで「発明を実施する」とは、発明の課題を解決し且つ固有の作用効果の発生を当然に伴う作業である。

従って、前記aにおいて、脱出用押戻機構が本件発明を実施する上で不可欠であると認定したことは、これが本件発明の課題を解決し、且つ固有の作用効果を果たす為の不可欠な技術手段であると認定したことに等しく、このような技術手段たる脱出用押戻機構は、即本件発明の不可欠な構成要件に他ならない。

そしてこの点については、後述する第二点の理由齟齬に基く上告の理由の段階で、更に立ち入って後述しする。

(二).御庁昭和四四年一月二八日判決(民集二三巻一号五四頁)、御庁昭和五二年一〇月一三日判決(民集三一巻六号八〇五頁)によれば、特許法第二九条第一項の「発明」の要件を充足する完成された発明とは、

当業者において反復実施して目的とする技術効果を上げることができる程度にまで、具体的・客観的なものとして構成された発明のことである。

右基準に即するならば、脱出用押戻機構が、その固有の目的を達成七作用効果を奏する為には、脱出時においてスライド片及びタンブラーバネを押し戻すも、挿入時においては、スライド片及びタンブラーバネに作用せず、カセットの自動挿入を妨げない構成についても、当業者において反復実施して目的とする技術効果を上げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして記載されていなければならない。

ところが、本件明細書にはカセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構に関する記載は全く存在しない。

これでは、当業者がカセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成について、その端緒さえ知ることができない。

かくては、本件発明が脱出用押戻機構を通じて反復実施して目的とする技術効果を上げることができる程度にまで、具体的・客観的なものとして構成されたことにはならず、従って発明未完成との評価を免れない。

(三).(1).にも拘らず原判決は、前記bにおいて、脱出用押戻機構が本件発明の不可欠な構成要素に該当しないと判断し、カセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成については適宜任意に選択することができるとの基準を設定したうえで、乙第2号証の1、5に記載されている設例を以ってこのような構成を想到することは、当業者にとって自明な技術的事項であると説示している。

(2).そこで、前記bの説示について考察する。

前記bの説示は、カセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成が明細書に記載されていないことを暗黙の前提としており、その限りにおいては前記bは正当である。

しかしながら、脱出用押戻機構が本件発明の不可欠な構成要素に該当しないとの判断は、前記aの判断と明らかに矛盾している。

これは、脱出用押戻機構が特許請求の範囲に記載されていないことに由来した判断であろうが、このような判断が極めて皮相的・形式的なものに過ぎないのはいうまでもない。

されば、ごのような判断に基づく前記基準もまた誤りといわねばならない。

(3).喩え、脱出用押戻機構が、本件発明の不可欠な構成要素に該当するか否かの点を措いたとしても、これが本件発明の目的を達成し且つ作用効果を奏するうえで不可欠な技術的事項である以上、脱出用押戻機構ひいてはカセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成について、明細書に記載が存在しなくても、適宜任意に選択することができる技術的手機と見做すことはできない。

蓋し、カセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成について明細書に記載が存在しなければ、当業者としては如何にして脱出用押戻機構が、カセットの自動挿入を妨げることがないのかを察知することができない以上、本件発明を実施するうえでの不可欠な技術的事項である脱出用押戻機構について、当業者において反復実施して目的とする技術効果を上げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されたことにはならないことに帰するからである。

以上より、前記aのように、脱出用押戻機構が本件発明を実施する上で不可欠な技術的事項と認定しながら、前記bの如き基準を設定したのは、明らかに論理矛盾であると共に、前記御庁の判例の趣旨に違反している。

されば、このような誤った基準に基づいて、乙第2号証の1及び5記載の設例を援用し、カセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成が自明な技術的事項と判断したこともまた明確に誤りである。

(4).ここで、敢えてカセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成自体が自明な技術的事項に該当するか否かについて考察する。

自明な技術的事項とは、「出願時の技術水準において、更に文献調査、実験等して研究するまでもなく、当業者が周知の知見として知得している為に、改めてその点につき説明教示を加える必要がない事項」のことである(大阪地方裁判所昭和五二年二月一八日判決無体財産集九巻一号五四頁)。

ところで、本件発明は、吊板、長溝、スライド片及びタンブラーバネ等の組み合わせにおいてその新規性・進歩性が存在しているが、脱出用押戻機構は、前記各構成要素との協働関係によって、本件発明の課題を解決し、かつ従来技術に存在しなかった固有の作用効果を奏す役割を果たしている以上、脱出用押戻機構とスライド片及びタンブラーバネの組み合わせについても、当然に新規性・進歩性が存在しなければならない。

然るとき、カセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成は、前記協働関係を実現するうえで不可欠な構成要素に該当し、これについても本来新規性・進歩性が存在しなければならない。

されば、カセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成は、当業者において容易に想到し得なかった事項に該当するのであって、これが周知の知見として知得されている訳がない。

即ち、本件発明の構成及び脱出用押戻機構の果たす役割に照らしても、カセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成は明らかに自明な技術に該当し得ないのである。

原判決は、乙第2号証の1、5による設例を以って、カセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成が自明な技術的事項に該当するとの判断に至っているが、そもそも原判決には自明な技術的事項に関する明確な基準が設定されておらず、また、どうして乙第2号証の1及び5の記載の設例が自明な技術に該当するかについての論証が行われていない。

要するに、原判決の前記設例に基づく自明な技術論は、明らかにその基準に関する吟味を怠り、且つ判断を誤ったものであって、後知恵として主張・提出された乙第2号証の1、5を援用したに過ぎないのである。

(5).以上より、前記bの説示はそのすべてにおいて誤っている。

(四).前記cは、前記bによる自明な技術論を前提としているが、前記bが成立しない以上、前記cが成立する余地はない。

但し、ここでは前記cの立論自体について検討するに、明細書に添付の第1~第3図によって、当業者がナイフエッジの押戻力を「逃げさせる」ための構成を想到するには、これらの図面が右構成を示唆するものでなければならない。

しかしながら、いかなる当業者と雖もこれらの図面を参照したところで、前記「逃げさせる」ための構成を示唆されるものではない。

蓋し、これらの図面には、せいぜいナイフエッジがスライド片及びタンブラーバネを押し戻した段階で、これ以上挿入側に移行させないための手段の開示に留っている過ぎないからである。

かくして、本件明細書に添付の第1~第3図を以ってナイフエッジの押戻力を「逃げさせ」て、脱出用押戻機構の押戻力をスライド片及びタンブラーバネに作用させない構成が、当業者において反復実施して目的とする技術効果を上げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして開示されているとは、到底認めることはできないのである。

(五).以上の通り、原判決は、脱出用押戻機構が本件発明の不可欠な構成要件に属するか否かの点、発明の実施を行い、これによって発明の課題を達成する為に必要なカセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成が明細書に記載されていないことに関する評価、自明な技術的事項の概念の解釈及び明細書に添付の第1~第3図の評価の何れにおいてもその判断を誤り、その結果前記dの如き帰結に至った訳である。

しかしながら、このような帰結は、御庁の判例の基準による特許法第29条第1項の「発明」の要件に関する解釈及び適用の誤りに他ならない。

2.次に、開示不十分について考察する。

(一).発明未完成は、本来発明の実態から派生する問題であり、且つこの場合には明細書の補正によって発明を完成することはできない。

これに対し、開示不十分の問題は、明細書の記載自体の問題であって、明細書の補正によって前記不十分な点を補正することが可能である。

この意味においては、両者は概念的に明らかに別意のものであり、その判断基準は異なっている。

但し、実務においては、補正によって発明を実施可能な程度とすることができるか否かの点の判断は、審査官・審判官の価値基準によっても異なり、実際の運用はオーバーラップすることがある。

審判の段階において、上告人は開示不十分を主張したが、これは特許庁において、発明未完成の評価基準以外に、開示不十分の観点に立脚した判断を求めたからに他ならない。

にも拘らず、審決は、この点について何らの判断を示さなかった。

(二).(1).原判決は、前記Aにおいて、審決の開示不十分に関する判断の不存在を認定しているが、その限りにおいては正当である。

ところが原判決は、B記載のように、上告人の審判請求時における開示不十分の主張は、単に発明未完成に該当する事由が、開示不十分性に該当するとの法条適用に関する主張に過ぎないと説示している。

前記Bの説示は、弁駁書の記載を根拠としているが、弁駁書において上告人は、前記ナイフエッジの押戻力を「逃げ去れる」為の構成である「突出片2a」が欠落していることを指摘し、この点が発明未完成に該当すると共に、「開示不十分にも該当する」との指摘を行ったことに由来している。

ところで、一般に審判請求人が発明未完成と開示不十分とを並行して主張している場合には、発明未完成とは別の観点からによる開示不十分性の判断を特許庁に求めているのである。

然るに、前記bの説示に立脚するならば、発明未完成と開示不十分とを併存して主張し、しかもその際「開示不十分にも該当する」との主張部分が存在した場合には、当該主張は単に法条適用に関する主張に過ぎないことになり、結局発明未完成と開示不十分とが常にオーバーラップしていること即ち、発明未完成が即開示不十分性を表わし、しかもその逆が成立することにならざるを得ない。

しかしながら、本来両者は異なる概念に由来している以上、偶々「開示不十分にも該当する」という趣旨の表現部分が存在したからといって、このような帰結は明らかに不合理である。

以上より、原審は、審判段階における弁駁書の僅かな表現部分を針小棒大に解釈し、発明未完成と開示不十分とに関する根本的な相違を黙過した解釈論を展開しているのである。

(2).ここで、開示不十分の判断基準自体について考察する。

本件特許出願当時における特許法第三六条第四項は、「発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の技術を有する者が容易にその実施をすることができる程度に、その発明の目的、構成及び効果を記載しなければならない。」と規定している。

これは、公開の代償として特許を与える為には、当該特許発明に対する技術文献としての役割を演ずる発明の詳細な説明において、発明の内容を正確に第三者に公開し、これによって第三者が当該発明の実施を容易に行い、ひいては当該発明の目的を達成し、且つ効果を奏することが可能であるように保証することが不可欠である旨を明らかにしたものである。

かかる特許法第三六条第四項の趣旨に立脚した場合には、カセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成については、当業者が容易に実施をすることができる程度に記載されていることが要請される。

これは、前記発明未完成を克服する為の明細書の記載要件よりも、更に厳しい要件となり得るのである。

このような特許法第三六条第四項の趣旨に照らしても、前記Bの説示は誤っている。

(三).特許法第三六条第四項の趣旨に即するならば、審決は、「本件発明の出願当時の技術知識を有する当業者が、そのような手段を一つとして思い浮かべることができないものとは到底認めることができない。」との判断とは別に、果たしてカセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成が当業者において実施できる程度に容易に記載されてあったか否かについての判断が不可欠だったのであり、前記Cの説示もまた誤っている。

(四).以上より、開示不十分について何ら判断を示していない審決は、特許法第三六条第四項及び第一二三条に違反したことによる違法を免れない。

従って、原判決が前記Dにおいて、開示不十分について何ら判断を示さなかった審決が正当であると判断したのは、結局発明未完成と開示不十分性との関係に関する基本的判断において誤ったばかりか、本件特許出願当時における特許法第三六条第四項の基本的趣旨の解釈及びその適用を誤ったからに他ならない。

四.結語

以上より、原判決には、本件特許出願当時における特許法第二九条第一項及び特許法第三六条第四項に関し、判決に影響を及ぼすべき誤りがある。

第二点.原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな重要事項について、

理由上の齟齬がある。

一.1.第一点において述べたように、原判決は、一方では脱出用押戻機構が、本件発明の課題を達成する上で不可欠な技術的事項と認定しながら、他方ではこれが本件発明の不可欠な構成要件に該当しないと認定し、カセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成について、適宜任意に選択することができる技術手段と認定した上で、上告人の発明未完成に関する主張を排斥した。

前記認定及び右判断基準が誤っている点は既に述べた通りであるが、ここでは、前記認定及び判断基準は明らかに判決理由の齟齬に該当し、これによって原判決が誤った判断に至ったことを立ち入って明らかにする。

2.脱出用押戻機構が、本件発明の課題を解決する上で不可欠な構成事項に該当する点では、タンブラーバネ、スライド片、長溝、吊板等の発明の要旨を構成している構成要素と何ら変わりはない。

現に、脱出用押戻機構は、タンブラーバネ、スライド片と協働することによって、本件発明の課題を解決し、且つ従来技術には見られなかった固有の作用効果を生ぜしめているのである。

二.仮に、原判決のように、脱出用押戻機構が本発明における不可欠な構成要素に該当しないのであれば、本件発明において、脱出用押戻機構と同様に、本件発明の課題を解決し且つ固有の作用効果を奏する為に不可欠な役割を演じているタンブラーバネ、スライド片の一方又は双方を捨象して、発明の要旨を

「録音、再生等の動作位置上方の動作待機位置にあるカセット収納函を吊板により装置主体に対して上下動自在に装着して、カセットをカセット収納函に挿入してともに下方の録音、再生等の動作位置に移動せしめるカセット型テープレコーダにおいて、カセット収納函上面から吊板にかけて形成された長溝に摺動自在に装着され、かつカセットに係合してカセットの挿入脱出に関与するスライド片を設けたことを特徴とするカセットお装填装置。」

と構成すること、更には、

「録音、再生等の動作位置上方の動作待機位置にあるカセット収納函を吊板により装置主体に対して上下動自在に装着して、カセットをカセット収納函に挿入してともに下方の録音、再生等の動作位置に移動せしめるカセット型テープレコーダにおいて、カセット収納函上面から吊板にかけて形成された長溝を設けたことを特徴とするカセット装填装置。」

と構成することも可能となる。

即ち、タンブラーバネあるいはこれに係着連動するスライド片を構成要素としない、右の如き構成による発明もまた、その要旨として是認されることになる。

しかしながら、前記の如き発明の要旨では、本件特許発明の課題を解決し、且つ固有の作用効果を奏する上で何れも重要な構成要素を欠落した発明の要旨が許されることにならざるを得ない。

無論このような帰結は背理である。

かかる矛盾した帰結を防ぐ為にも、脱出用押戻機構は、発明の構成要素として、吊板、タンブラーバネ、スライド片及び長溝と同等に扱われるべきであるから、結局脱出用押戻機構は、本件発明の構成としても不可欠といわねばならない。

三.このように、脱出用押戻機構の評価について、原判決は明らかに矛盾であって理由上の齟齬が存在するが、カセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成について、原判決が適宜任意に選択することができるとの基準を設定したのは、脱出用押戻機構が本件発明の不可欠な構成要素に属さないとの明白な理由齟齬に由来している。

されば、前記基準を前提として、カセットの自動挿入を妨げない脱出用押戻機構の構成を欠落した本件発明が発明未完成に該当しないとの帰結は、明らかな理由上の齟齬に由来しているのである。

四.以上より、原判決には、脱出用押戻機構の位置付けに関する評価という重要な技術的前提事項において、判決に影響を及ぼすことが明らかな理由上の齟齬があるとの評価を免れない。

以上

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